こんにちは、13日目のようです。
おはようございます。
昨日の夜にKindle unlimitedで見つけた、「心穏やかに生きる哲学 ストア派に学ぶストレスフルな時代を生きる考え方」を読み始めている。とてもいい。
自分の行動、品性、他人に対する態度はコントロールできるが、そのほかのことはコントロールできないことを理解する。
これまでこの事が、わかっていなかったし、今でも時々コントロールできないことをコントロールできると思い込んでいる節がある。
私の失敗談を話そう。
大学院生時代に研究をしていたときだ。研究を続ける、良い成果を出すには研究費が必要なために研究費を獲得する必要があった。研究費を獲得するために申請するという行為はコントロールできる。だが、その結果、研究費を獲得できるかどうかはコントロールできない。他人が決めることだから。申請1回目の時は、研究が採択されず、かなり落ち込んだ。研究費を取れるんじゃないかと期待をしていたからだ。ストア派の視点でいったら、コントロールできないことに期待を寄せることは無駄であると、無関心であれということだ。
最近あった話だが、個人で印刷物のデザイン業務を請け負っていた。私はこのデザインで大丈夫だろう。というように業務が完遂したと認識していたが、その後、何度も修正依頼をされて、非常に腹立たしく思った。しかしこれも、相手がこちらの成果物に対してどう反応するかはコントロールできないという認識を持っていたら、それほど怒りという気持ちを持つことはなかっただろう。
面白いことにストア派はお金(富)や健康にも無関心であれ、自分の死や不幸に関しては受け入れるようにということらしい。
なるほど、モノ(自分がコントロールできないこと)に執着するなということとは一致はしないが近いところは感じる。お金はこの資本主義に依るところが大きいし、世界情勢だって関わってくる完全に外のものであるし、健康だって自分の体だとしても常に私たちの見えないところで変化が起きている。つまり、自分の体であるが外のものだ。そう考えると、それについて無関心であるというのは、いいかもしれない。無関心はやはり難しいな。お金だって、正直なところ貯金したいし稼ぎたいという欲がある。そのために自分が仕事を頑張る、誠意ある形で取り組む事はできるが、高い給与を得られる可能性(結果)はコントロールできないことを理解しておくといったところか。健康も、自分が気を使うことはできるが、その結果として長寿になれる可能性(結果)はわからないことを理解しておこう。
ストア派の考えでいくと、今、この瞬間を大事にできそうだ。
私は最近離れ始めているが、SNSは上記のモノに対して無関心でいられない状態にさせる麻薬だ。
だから、昨日の日記でも書いたように、SNSの利用をコントロールした方がいい。使うか使わないかはコントロールできることであり、SNSから浴びせられる情報はコントロールできないのだから。提供される情報に対する受け取り方をコントロールできるならSNSを使ってもいいと思う。でも私は、それがそんなに得意じゃないし、いちいち反応の仕方を考えることに時間を使いたくない。
みんなで、SNSとの付き合い方を話そう。一度、時間をとって考えてほしい。
みんなが少しでもストレスフルになって、目の前にいる大事な人を愛して、良い1日を過ごせたらと思う。
今日もいい一日にしよう。
そして、明日も一緒に歩もう。